女は男を知らない ーA woman does not know a manー

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タケシ軍団の筆頭芸人、政治家、著述者、タレント、そのまんま東(東国原氏)の波乱万丈の人生、

 

「タケシ軍団」の最初の弟子でビートたけしにも一目おかれたトップ芸人の「そのまんま東(東国原氏)」は、最近のテレビには情報番組、トーク番組には出ているようですが、肝心のバラエティー番組には出てないような気がします。 

 

 それは最近では色々目論見が外れて、すっかりやる気をなくして腐っている様な感じも受けますがね・・?。

 

 

其の波乱万丈の「そのまんま東」は、タケシ軍団の芸人として活動後は、本名の東国原英夫として宮崎県都知事・衆議院議員を務めてきた政治家でもありました。 

 

というのは長らくそのまんま東として芸能界をフィールドに芸の番組のテレビ人としてビートたけしの許しを得て一時的に師弟関係を解消して、宮崎県知事に立候補し当選、「宮崎をどげんきゃせんと いかん」をフレーズに、この時から本名に改めて政治家として活動し始めます。

 

その後は、宮崎県知事を任期満了をへて辞職し、その後には都知事選に立候補しますが、当初は不出馬とされていて、あわや当選確実かともいわれていたが、急遽、石原都知事の再出馬によって落選している。

 

 その後は2012年12月の衆議院総選挙に日本維新の会から出馬して当選していますが、一年後には党の変容を指摘し、それが受け入れられなかったことから等を離脱、更に議員辞職も同時に行っている。

 

そんな、そのまんま東(東国原氏)の人生をかげでささえていたのは三人の女(妻)たちであった。

 

 東国原氏の1回目の結婚・離婚は片平夏貴さんという人でした。 二人の間には子供が一人いますが、離婚後は元夫人の夏貴さんが引き取って育てています。

 

 

二人の馴れ初めは、片平夏貴さんがビートたけしのファンで、タケシもいるドラマで共演したことからです。

 

 直後、彼自身も師匠であるビートたけしの追っかけだった女性と結婚していた事実を公表した。

 

 実名もイニシャルだけでフルネームの言及は避けたが、お相手はフリーアナウンサーやタレントとして活動していたKさんとして告白しています。

 

最初の奥さんである片平夏樹との結婚生活中に、東国原氏は師匠のビートたけし達と事件を起こしていますが、これが、たけし軍団が1986年に講談社を襲撃した、所謂、「フライデー襲撃事件」だったのです。

 

このフライデー襲撃事件後は、本人たちが半年間の芸能活動の自粛を宣言して、その後復帰することになりますが、その半年の間に東国原氏は「ビートたけし殺人事件」という推理小説を書いており、これが評判となってドラマ化もされています。

 

 

ところが、このドラマの主演が東国原氏自身であり、其の相方に出演した女優が後の再婚相手となる「かとうかず子」であった。 片平夏貴との離婚のきっかけになったのは、彼女の存在があったと巷間言われているのです。

 

東国原氏の2回目の結婚相手は「かとうかず子」であった。 最初の奥さんとの離婚後、すぐ翌年には再婚したのが、結婚相手である「かとうかず子」さんとの二人の間には、男児と女児が誕生しており、更にその後の離婚には「かとうかず子」さんが親権を持って育てています。

 

東国原氏は、「かとうかず子」さんとの結婚生活中にも様々な問題を起こしています。
先ず、後輩の男性の頭を殴り怪我をさせたとして傷害容疑で書類送検されています。 又、イメクラ(風俗のイメ-ジクラブ)の未成年女子高生との淫行問題が発覚し警察からの事情聴取を受けています。

 

此のように、様々な事件や不祥事を起こし、当の本人は自主的に芸能活動を謹慎したりしながら、何とその間に猛烈に受験勉強をしてその間に早稲田大学へ入学しています。

 

 其のようなことが有ったにも拘らず、奥さんの「かとうかず子」さんはそんな東国原氏をたしなめながら家計を支えたと言われています。

 

 

此のような度重なる苦労をかけていたのに、「かとうかず子」が何故離婚しないのか、と世間や周りは見てたようですが、遂に2006年の東国原氏の政界進出を機に離婚します。

 

其の時にはさすがに「かとうかず子」は「政界に進出という東の夢はいいものの、私自身はついて行く自身はなかった」と説明しています。

 

彼は故郷宮崎県の知事選出馬に意欲をみせているとされるが、かとうは「私は九州に行くことは選べませんでした」と、結婚生活16年目の別離を決断したという。

 

 

尚、此の時に、かとうかずこが親権を持つ子供2人(当時、15歳長男と12歳長女)についての慰謝料や養育費はもらわないといったという。 「これから一人の女優として仕事をしないといけない」と覚悟をみせ、最後には東国原氏に、「自分の夢に向かって頑張ってください」とエールを送っている。

 

そして、3度目の結婚については、2014に発表していますが、世間は果たしてお相手はかとうかず子さんと再婚かとの噂もあったが、実際には20歳年下の一般の女性だったということです。

 

東国原春香さん、名前は「はるか」さんで生年は1977年で現在30歳と若い・・!。 
彼女は(否、奥さんは)1977年長崎県(彼女の母の実家)生まれ、その後、彼女の父(宮崎県串間市出身)の転勤により富山県富山市に移住している。 その後、富山中部高校からお茶の水女子大学進学。同大学卒業後一般企業に就職したが、若い頃はアルバイトでモデルの仕事をしていたという。

 

 

東国原氏は、春香さんと2011年の都知事選落選後の激励会で出会い、その後、自身の母親の介護を通じて結婚を決意したと言っています。 其の時に、私自身も50代後半となり、今後の老後の人生等を真剣に考える時期になり、将来不安は社会問題だけでなく、身近な問題として考えざるを得なくなりました。 結果的に結婚を決意しましたと言っています。

 

プロポーズの言葉は、彼女が母の介護をしてくれているとき、耳元で「いずれは、私自身の介護もしてくれないか?」と頼んでみたら、彼女が「はい、喜んで」と返事が返って来たという。

 

嫁の春香さんは、東国原氏の母親であるタミさんのために週2回実家に通い介護していますが、当の息子は東京拠点にタレント活動し、帰っても介護はしないそうです。

 

東国原氏(そのまんま東)最近ではチョクチョクメディアで見ることがある。
ご存知のように彼は宮崎県知事に当選したことで一気に今までの事件における世論の不信を払拭した感じがあり、これは今も「たけし軍団」の一員のようにしてテレビに出ているが、この「どん底」(彼の著)があったことが結果的に早稲田大学入学、そして政治家を志すことにつながっている。 

 

どん底」に落ちると這い上がれない場合もあると思いますが、這い上がった氏の志はすごいと思いますね。